従来教育の延長にある問題とアクティブラーニングが求められる背景って!?|プロジェクトデザインの実践例
2020年から始まる新しい教育
「新学習指導要領(文科省)」を本格的に読み解き、プロジェクトデザインする!
(背景:“生きる力”の意味が変わる)
10年ぶりに文科省による学習指導要領がかわり「アクティブラーニング」という新しい学び方が入っています。その言葉は知っていても、具体的に何をやったらいいかイメージがついていないように感じていますが、みなさんはどのように受け取っていますか?
日本語では「主体的・能動的に学ぶ」という表現とは別に“生きる力”とも表現されていますが、いったいどういうことなのでしょうか?
それに“生きる力”とは、どういう状況を想定すると良いでしょう?
生活するために食べ物・着る服・住むところを確保できることが生きる力でしょうか、労働者として働くことを前提として就職した会社や組織で自分の居場所を確保できることが生きる力でしょうか?
もしくは、無人島で一人になったとき、災害で家や財産を失ってたとき、言葉や通じず文化も違う地域に済むことになったとき、困難な状況でも命を失わないように生き延びられることが、生きる力でしょうか?
変化の早い未来を生きていくために、「教育」は、「学び」は、わたしたちにどこまで必要なのか?本当に必要なのか?ゼロだと生きていけないのか?海外の事例や過去の日本の事例を参考にしながらも、先入観を持たずにゼロから考えてみます。
【歴史的な視点】
国と国の競争から発展した「教育」、寺子屋や松下村塾で既に実績があったアクティブラーニングの「学び」!
Education developed from competition : Learned already proven
競争に勝つための「教育」、自分の内と向き合う「学び」
○ 「教育」が発展した背景とは? ○
世界史からの背景:産業革命で、技術と貿易の発展によって国と国の距離と時間が近づき、
経済競争が活発化し、生き残りをかけて多くの国が激しく競い合った。
教育史からの背景:自分の国が生存競争で生き残るために、
経済競争に勝つための教育を、それぞれの国が国民に義務付けた。
教育の主体 :国(政権の政策・文科省)が主体となって、何(教科と中身)を教えるかを決める。
教育の目的 :経済の成長のために、生産活動ができる労働者を育成すること。
教育のゴール:教育を受けて育成された個人が、労働者として経済へ参加すること。○ 教育=国(文科省)→教育委員会→学校→教員→学生 ○
○ 労働=賃金・報酬を得るために、体力や知力を使ってモノ・サービスを生産すること。 ○
前記事「アクティブラーニングと現行教育との本質的な違いって!?」より。
義務教育が始まったころまで世界と日本の歴史を振り返って読み解いてみると、国が生存競争に負けないように自国の国民に教育を義務づけ、国が教える・国民は国に教えてもらうことが前提にある。一斉指導によって「何を教えるのか?」という国の意向を重視した国が競争に勝つこと、負けないように生き残ることが“生きる力”のベースとなる考え方。
競争に勝つ・負けないが最優先され、より強い立場を確保・維持することをベースに、国が決めた評価基準に基づいたテストと順位付けが組み込まれている。新しい学習指導要領も競争の延長で設計されている点が大きな問題といえる。
○ 教育の背景:産業革命から続く技術と貿易の発展によって、活発化した経済の競争で生き残るため。 ○
【参考】
・産業競争力会議 雇用・人材・教育WG(第4回) - 「教育再生による経済成長(文科省提出資料)
・首相官邸 主な本部・会議体 | 産業競争力会議
◎ 「学び」が求められる背景とは? ◎
世界史からの背景:お金・モノ不足は解消され、物質的な豊かさが満たされた一方、
資源や資産の一極集中と広がった格差、失われた精神的な豊かさが社会的な問題に。
少し先の未来でさも予測のつかない時代を、先読み・先取りする力が求められる。
教育史からの背景:競争を前提とした義務教育が始まる以前の寺子屋・松下村塾の時代の教育では、
そもそも教育を受ける義務もなく、「生きていくため」に個人が自主的に学んでいた。
学びの主体 :個人が主体となって、何(知識・技術 ※現行の教科を含む)を学ぶかを決める。
学びの目的 :個人の尊重を目的とした、成熟した社会を実現すること。
学びのゴール:得たい学びを選択できる、尊重された“はたらく個人”となり、社会へ参加すること。◎ 学び=学生→サポーター(教員含む)→専門家 ◎
◎ はたらく=本来の「やりたい」から増えた「できること」で、周りを楽にすること。 ◎
前記事「アクティブラーニングと現行教育との本質的な違いって!?」より。
義務教育がなかった時代まで日本の歴史を振り返って読み解いてみると、アクティブラーニングという言葉はないものの、教育を受けることが義務ではなかったため、自主的に学ぶことが前提にある。寺子屋や松下村塾では一斉指導ではない個別指導がすでに実施されており、「何を学びたいのか?」という本人の自主性を重んじた社会の一員として成長できることが“生きる力”のベースとなる考え方。
英国の産業革命や資本主義が日本に入ってくる以前(寺子屋・松下村塾の時期)は、200年続いた江戸幕府の力が弱くなり外国文化の流入・外国からの開国圧力があり、当時も10日後でさえ何が起こるのか予測のつかない変化の多い時代だった。
厳しい身分制度(士農工商)のために、家業を超えるような職業の選択は難しい時代の中で、自分の家業をベースに何を学ぶかを自分で選択し、個人の興味と理解の段階に合わせた個別指導によって学ぶ場が設計されていた。
【参考】
・寺子屋 - 寺子屋に学ぶ
・松下村塾 - 松下村塾のリアルな実態・吉田松陰の教えと生々しい教育方針
→山間の農村部にありながら、たった2年間で自主的に考えて行動する人材を多数輩出。
○ 学びが求められる背景1:激しさを増す経済競争で失われ勝ちな、精神的な豊かさを確保するため。 ○
○ 学びが求められる背景2:変化の多い時代を先取りして、柔軟に自分で決める力が求められるため。 ○
【視点を変える】
競争・教育が求める“生きる力”ではなく、
本来の“生きる力”を得るために何を「学ぶ」か?
What should we “learn to live”?
変化の多い時代に考えるべき、「教育」の限界と「学び」の価値
○ 「教育」の限界とは? ○
教育の限界:本人の“やりたい”よりも、労働者の育成を目的とするカリキュラムが優先される。
何のために教育を受けるか?の選択肢が少なく、労働との天秤で“やりたい”にフタをされる。
均一化された評価基準と一斉指導では、常に基準が変わる変化の時代に柔軟な対応が難しい。
教育の影響:技術の発展、時間や距離の短縮、物質的な豊かさ、経済的な豊かさを得た一方で、
長期の展望よりも短期の損得勘定、人としてよりも労働力としての存在価値が優先される。
望まない競争や順位付けへの参加、自分で取りきれない自己責任を問われる、精神的な負担。
一律の評価基準と一斉指導は、モノを生み出すために必要なたくさんの労働者を生み出すことができます。しかし同時に、資源と資産の格差やゴミの増加、環境汚染など、同時に社会問題を多く生み出し解決できないままどんどん悪化させています。技術革新が進み、繰り返し作業の労働をAIやロボットが代行し多くの人が労働から解放されるこれからの時代に、人間に求められるのは新しいことを先読み・先取りする視野の広さや深さ、初めて直面する事態に対応する柔軟さ、新しいルールや仕組みを自分でつくり出す想像力ではないでしょうか。
また、すべての人を一斉指導のもと同じ尺度で比較し順位付けするこれまでの「教育」は、本人が気づかないうちに望まない競争に参加させられ、本人が納得もしていない基準での評価にさらされてしまいます。そのため、誰かに決められる点数と順位によって、自分の位置や居場所が決められてしまい、自分の存在を自分で確認(自己承認)できず、自己肯定感が削られてしまう子どもたち(そのまま気づけずに大人になる可能性が高い)が増えてしまいます。同時に、多様な個性や本来持っているはずの力にフタをされて存分に発揮できないことも多く、さらに他者に認めてもらうこと(他者承認)ばかりにとらわれてしまい、他者への貢献感も意識が遠のいてしまいます。
競争や評価自体が悪いわけでもNGなわけでもありません。むしろ、「方法」としての競争や評価は技術の維持・向上には高い効果があります。たとえば、スポーツや職人など、その道や学びたい対象を選択し、望む人同士が参加して競い合うという「ゾーニング(喫煙ルームなどゾーン:領域を分けること)」が本来は設けられるべきです。競争も評価も、効果的に使う場面と、逆に使ってはいけない、控えるべき場面を分ける必要があるのです。
このとおり、望まない競争への参加や順位付けをされない、取りきれない自己責任を問われない、また精神的な豊かさへの対応として自主的・能動的な「学び」としての、本質的なアクティブラーニングがいま、求められているのではないでしょうか。
○ 教育の限界1:義務付けられた競争への参加で、本人も気づかず自己肯定感と貢献感を削られる。 ○
○ 教育の限界2:何のために教育を受けるか?の選択肢が労働以外に少なく”やりたい”が満たせない。 ○
○ 教育の限界3:一律評価と一斉指導では変化の多い時代に対応できず“生きる力”としては足りない。 ○
◎ 「学び」の価値とは? ◎
学びの価値:“やりたい”が満たされる、“できる”が増える(自己肯定感、貢献感への扉)。
自己肯定感と貢献感を礎に、何のために生きるか?何のために学ぶか?を自分で決められる。
予測の難しい状況でも、仮説から変化を察知して先回りし、必要な事前準備や対策ができる。
学びの期待:未来の課題を先回りして回避する、直面した課題を乗り越えられる力を身に付けられる。
自分の“やりたい”が満たされる、他者の“やりたい”を理解して満たすことができる。
“やりたいこと”を通じて、“できること”が増え、精神的な豊かさを感じられる。
子どもたちの“やりたい”って実に多様です。キケン!と感じ思わず「ダメ!」と怒ってしまったり、ケガや病気をしないように禁止や注意をしてしまうこともあるかと思いますが、危険を省みず次々と移り変わる興味や関心に一直線に向かっていく様は、本当にたくましく微笑ましくなります。
大人も実は、同じように多様なのではないでしょうか。自分自身で「お金が」「時間が」「向き不向きが」と制約をかけてしまいがちですが、制約されることが何もない状況を想像し、「何でもやりたいことができるとしたら何をやりたい?子どもの頃からやりたかったことで今もやりたいことはある?」と聴かれたとします。子どもの頃まで含めると思い出すのに少し時間がかかるかもしれませんが、実は“やりたいこと”“やりたかったこと”があなたにもたくさんあるのではないでしょうか?
人の興味や関心は本当に多様です。“多様性”というと外国の文化だったり、信仰している宗教だったり、LGBTなどの性的な趣味や好みをイメージすることが多いと思いますが、実はもっと身近に存在していて、個人個人の興味や関心から生まれる“やりたい”が多様性の根っこです。
“やりたい”こと全てをできないとしても、子どもの頃からの“やりたい”を一つでも発見し、一つでも多く挑戦でき、気持ちを満たせたとしたら。“やりたい”を通じて、自ら調べたり観察したり触ってみたりと、自ら行動して体験したことで“できる”が増えたとしたら。
それらは、“やりたい”が満たされ“できる”が増える、自己肯定感と貢献感への扉です。先の見えない変化の多い時代においてなお先を読み、自分で先取りし、「自分は何のために生きるのか?」を自分で決めていく力こそが、本来の“生きる力”であるとわたしたちは考えます。
そして、その本来の“生きる力”は、自分の“やりたい”を通じて増えた“できる”ことで、物質的な豊かさと引き換えにたくさん生み出してしまった社会の問題を一つ一つ解決し、「自分」ののぞむ環境と「社会」を自らの頭や身体を使ってつくること、つまり「はたらく」ことと、強く結びついています。
【参考】
・イエナプラン - オランダ・イエナプラン教育DVD「明日の学校に向かって」リヒテルズ直子 JENA PLAN
・ミネルバ大学 - 100%アクティブ・ラーニングを提供する「未来の大学」
・フィンランド - 映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』本編映像”宿題のないフィンランド”
◎ 学びの価値1:自己肯定感と貢献感を得られる多くの機会がある。 ◎
◎ 学びの価値2:「何のために生きるか?何のために学ぶか?」を自分で決められる。 ◎
◎ 学びの価値3:未来の課題を想定し、直面した課題を乗り越える力が備わる=本来の“生きる力”。 ◎
今回はここまでです。
まずは、「教育」と「学び」の背景の違いについて考え、「教育」と「学び」それぞれの意味する“生きる力”の違いまでを紐解きました。
考えを深めていく中で微調整はあるかもしれませんが、家庭内や地域内または学校内や社内で、話し合いのきっかけとなる一つの結論(共通に「善い」と考えられる一つの答え)を提示できたと思います!
【方法②】[対話型学習] 他者の観点・選択肢と、共通の善い・合意へ導く対話の方法を学ぶ。
【方法③】[参加|活動型学習] 誰かの活動(プロジェクト)に、自分が“できること”で参加して学ぶ。
【方法④】[企画|活動型学習] 自分の“やりたい”から、活動(プロジェクト)を企画・運営して学ぶ。
├プロジェクト5:親と子どもと学び方、何が変わる?
├アクティブラーニング実例:そうはいっても難しそう、本当にできるの?
・【Q&A】想定されるリスクや課題って何があるだろう?どう対策する?
※参考文献